記憶力の良さをインテリジェンスだと見なしているのは中国だけではなく、これは東洋国全般に言えることだろう。日本の学校の試験は記憶力テストだし、幼児期においても、例えば日本の保育施設の図画工作では「みんなで同一のゴールに到達しましょう」という目標設定をしてから同じ材料で同じものを製作させることが多く、これなどは、どういう順序で何をすればゴールに到達できるのかよく見て覚えなさい、という教育であり、要するに記憶力の訓練なのである。
これは中国や韓国、シンガポールなどでも同じだそうで、テーブル一杯に様々の材料を並べ、「何を使ってもいいし何を作ってもいい、好きにしろ」という英国の保育施設の図画工作の時間は、フリーダムというより、職員が怠慢過ぎ。と怒るお母さんはだいたい東洋人である(インド人の場合もある)。
しかしながら、好き勝手にやれというフリーダムには「自分で決断する」「試行錯誤しながら解決法を見出す」という人生の最重要タスクが含まれているのも確かで、言い方を変えれば、英国のガキどもは幼少のみぎりから決断を下す訓練をしているとも言える。
とはいえ、当然ながら幼児が自分で物事を決めれば失敗の連続であり、悔し泣きをして癇癪を起したり、激怒してあたり一面のものを床に投げ落としたりして、保育士から「ノー・サンキュー!」と叱られ、号泣しながら、だんだん子供たちは決断上手になって行く。
しかし、失敗からちっとも学ばない子供というのもいて、こういうやり方では「正しい決断が下せる個人」と「間違った決断しか下せない個人」の能力差や、その結果としての社会的階級差が広がるのは確かである。なぜなら、こうした「自分で決めなさい」の教育では、あらかじめ「こうすればうまく出来ますよ」という成功モデルを記憶させることをしないからである。
が、大きな決断を下す場合に必須である肝っ玉や直感的センスというものは、こうした訓練無しには身に着かない。なぜなら肝っ玉やセンスというものは生まれついた性質や才能ではなく、「大失敗するかもしれないというリスクを背負い、全く手本や前例のない中で、自分で決断を下して来た」経験の連続から習得するものだからだ。
と、ここまで書くとお気づきの方もおられるだろうが、「決断の下せるリーダーがいない」国には、こうした決断の練習をさせる教育ポリシーがない。と言えはしないだろうか。
我が祖国の政治家にリーダーとしての肝っ玉がないというのは、政治家がエリートだからではなくて(政治家なんてものはどこの国でもエリートだ)、自分で決断して直接やりかぶらなくていい教育を受けたせいだ。日本の子供の教育で重視されるのは、決断力や自信というよりは脳内データベースの豊かさだ。そしてそのデータベースの重厚さと正確さによって「優秀だ」と評価されて来た人々は、前例のない事態が勃発した時には混乱してしまう。
なぜなら、前例のないことはデータベースの中に含まれていないからである。
そしてこういう教育を受けた人々は、指導者というポジションには不向きだ。
なぜなら、リーダーとは、ぶっちゃけた話、他人のために自信を持って決断を下せる個人だからである。
とは云え、世の中には「ただ一つの正しい道」など存在しないので、どのような教育が正しくて、どれが間違っているということはない。
どの教育も、別のタイプの人間を効果的に製造するという点で、それぞれ正しいのである。
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なぜ麻生さんが際立って優秀なリーダーだったのか? なぜ短命に終わった最近の自民党政権総理大臣たちもまた優秀だったのか?(実務経験と決断、リスクテイクの経験) なぜ学歴エリートたるテレビ新聞などのマスメディア人が麻生さんに激しい嫉妬と憎悪を燃やし、政権が短命になるようにウソも卑劣さもいとわず殺しにかかったのか? (リーダーとしての資質への嫉妬) なぜ学歴エリートたる民主党政権のリーダーたちまた、さんざんリーダーをおとしめることにばかり注力してきて、いざリーダーになってみるとおそろしく有害なのか? (欠落した資質への嫉妬と、欠落の実証) これらの理由となった要素のうちの一つが見事に説明されているように見えます。 (via windsock) |